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美園地区
30.浅草三井寺
〔所在地〕美園5条1丁目1
美園地区の発展に貢献した前田要助氏が、明治43~45年、現在地に天台宗の布教所として建立した。昭和の中頃法人化され同59年に現在の本堂を建立。正式名:天台宗慈眼山浅草三井寺。
31.豊平村公会堂跡
〔所在地〕美園3条3丁目1
大正2年、豊平村の集会所として開設。約50平方メートルの平屋建てで、村の各種会合や青年団の集いの場所として利用された。昭和26~27年頃、取り壊された。
32.射撃場跡
〔所在地〕月寒公園
大正5年に旧陸軍の実弾射撃場として開設。終戦から3年間は進駐軍が射撃場として使用していた。射撃場は、南北両側に高さ6m位の土手が築かれ、東西に射場が延びていた。現在は月寒公園の野球場となっている。
33.四国西国観音霊場の観音像
〔所在地〕美園5条6丁目3-9 曹洞宗豊龍寺
月寒公園に、四国八十八ヶ所、西国三十三番札所を模した灯籠方の観音像郡があった。戦後、2度の移設により豊龍寺に安置された。

34.火の見やぐら跡
〔所在地〕美園3条6丁目3

明治期に設置。昭和初期まで、このあたりは水田地帯であり、火の見やぐらからの遠望がきいた。国道36号線の舗装工事により取り壊された。明治30年代半ばに防火組合が誕生し、防火・消化活動を始めた。明治43年に私設の月寒消防組に改組され、大正9年、公立の月寒消防組として認可された。当時の消防活動の拠点であった火の見やぐら跡である。
35.1号用水路
〔所在地〕美園3条3丁目~4丁目
明治11年から美園地区に水稲栽培が広がり、同20年代から水不足が深刻になった。同28年から、平岸用水路を幹線とする1号用水路が掘られた。宅地化に伴い、昭和36年にその使命を終えた。
36.リンゴ並木の碑
〔所在地〕美園11条7丁目1
昭和49年、平岸発展の基礎となったリンゴ園を偲んで環状通の中央分離帯約1kmにリンゴの木が植えられた。昭和60年、地元有志により当時のリンゴ園をしのぶよすがとして碑が建立された。